ニキキョ

今更ブログ 映画や音楽で気になったことを備忘録的に書いていきます。

「Q」Mr.childrenを聴いて感じたこと

Q

Q


Mr.childrenとは、私が子供の時からずっと、曲が売れに売れていて、今尚現役で活動しているモンスターバンド。


 

久しぶりにMr.Children「Q」というアルバムを聴いた。すごい好きなアルバムだったけど、ついぞ聴いていなかったな〜、と思ってスマホに取り込んだのだった。

結論から言うとやっぱり無茶苦茶良かった。

 

ここ数年Mr.Childrenが出す曲は「若葉感」とか「生温かい泥感」を感じるものが個人的には多く、少し苦手で、

また最近のアルバムに1〜2曲入っているロック調の曲も、R&Bの歌手が「ちょっとロックに挑戦してみました」みたいな風に思えてしまって、もしかしたら自分の嗜好が変わってきているのかなと感じていた。

 

しかし「Q」はやはり良かった。捨て曲なし!

このアルバムに感じるのは「梅雨の湿度感」と「冬のような寒さ」の中に時々すごい気持ちいい風が吹く、絶妙なバランス。

アルバムを通じて、鬱屈とした湿り気を肯定していこうとする雰囲気が漂っている。

 

曲ごとでは

アルバム冒頭の「CENTER OF UNIVERSE」のメロディセンスには目を見張るし、「つよがり」なんて好きな人の前でギター一本で歌ってみたいという十代みたいな欲求にかられるし、「スロースターター」「十二月のセントラルパークブルース」のミドルテンポのブルースロックはマイナー調なのに踊りたくなる。

昔友達と「友とコーヒーと嘘と胃袋」をカラオケで歌ったが、この年齢になって本当に実感できるようになってきたな〜と思う。

その他「サレンダー」とか「ノットファウンド」とか語りだしたらきりがない。

(ノットファウンドのコード進行をくじ引きで決めたとか、そんな伝説も好きだ)

 


ご承知おきのとおりこの15年くらいで私たちの社会は大きく変わり、例えば、銀行手続きの大半がその場ででき、カーナビが無くても道に迷わず、テレビの存在意義が変わり、家にいながら、二百円前後のケーブルだって送料無料で買えてしまう。

スマートホン、ネットってすげーなーと思う。

 

スマホ、ネットのおかげで、あっという間に自分の興味をネットで共有、確認できてしまうから、わざわざ学校の友人や社会で関わりある人たちと、最大公約数の話題に付き合う必要がなくなった。

だからなのか、最近の紅白歌合戦なんかでは、どの歌が売れたのかよりも、誰が出るのかという点に重きが置かれているようにおもう。みんなが望む最大公約数の矛先は「歌」ではなくまだ「人」の方に寄りはじめているように見える。

 

正直、「Q」を聴く前は、時代の変化でどこまで良いと思えるのか心配していた。しかし杞憂だった。

 

国内外問わず様々なジャンル、アンダーグラウンドも含めた音楽をワンタッチで簡単にストリーミング再生できてしまう時代、フラットな視点で比較できる時代だからこそ、このポップスセンスには改めて尊敬を禁じ得ない。


歌詞については、色あせて感じる部分もあるかもしれないが、それでもやっぱり響く部分は多いし、18年経っても、この普遍性を保ててるのはすごい。


私は、Mr.Childrenの全ての曲が好きとは言わない。

ただ私にとってこの「Q」というアルバムは、人生の中でやはり輝き続けているアルバムだなあとしみじみ思った。

「夜のすべて」を聴いて感じたこと

夜のすべて

夜のすべて

  • 思い出野郎Aチーム
  • R&B/ソウル
  • ¥2000

 

バンドは個人経営の飲食店に似ている。
まずはジャンルがあって、店の雰囲気があって、味の良し悪しがある。
二つの大きな違いは価格設定が飲食の場合は差が激しいが、音楽の場合はどんな内容であってもほぼ同じくらいの金額で手に入れることができるということ。

また味の良し悪しというのは、バンドであれば、声、メロディ、アレンジ、演奏力の総合が当てはまると思う。ただ一概に味と言っても、繊細な出汁からジャンキーな旨味まで色々あるのであって、どれを好むかというところは受けて側に委ねられる部分も大いにあるだろう。


そう言った観点から見た時、「思い出野郎Aチーム」はどんな店なのだろうか。

まずは名前、これは完全に警戒する名前であり、下手すると地雷店である。いろんな店の看板が並んでいた時に、とにかく最初に「思い出野郎Aチーム」という店に入る人は何人いるだろうか。。

そして、その緊張感のまま扉を開けたらどうだろう。少し暗めの店内に、若めのおっさんがたくさん突っ立っているのである。なんなら厨房からは湯気がスチームが出ている。ここはむしろ、信頼が置ける要素かもしれない。現に大所帯のバンドは当たりの可能性も高く(あくまでも自分の経験則)、ここは一概になんとも言えないところ。

そして席に座って料理を注文してみる。
口コミサイトの評価が何であれ、自分が美味しいと思えばそれでいいので、聴いた人が好きなように感じてもらうしかない。

なお、私の所見は以下のとおり。

この「夜のすべて」というアルバムは、ドラム、ベースを中心に曲の演奏ができるだけ熱くならないことが、アルバムを通して徹底されているよう感じた。例えば、ドラムのスネアはできるだけタイトに鳴らされており、ベースも非常に冷静である。管楽器も力強くというよりも、曲にうまく添うようなアレンジになっている。
一方で、声質は熱い、というか暑い。なんならダミ声である。
この対比が、今回のアルバムではとても効いている。冷たさと熱さのバランスが最高だった。

この対比は一つの発明じゃないだろうか(昔のソウルやファンクに似たような手法があるかもしれないが)。

この点は過去のアルバムから比較しても意識されていたように思う。



そして歌詞がとてもスッキリしている。
キャッチコピーと似ていて、伝えたいことは大体一つだけ。文学的では決してないが、伝えたいことがはっきりしており、それがとてもうまく機能している。
特に「ダンスに間に合う」は白眉。
とにかくダンスに間に合うのである。後悔してようが、辛かろうが、ダンスに間に合う。
しかもよくよく考えれば、ダンスはクラブやライブハウスに行かなくても、その気になればどこでもできる。
だから、僕も貴方もいつだって、信じられないような嫌なことがあっても、ダンスに間に合う。あきらめなければ。

他の曲も、早退する、とか、アホな友達とか、とにかくわかりやすい。平日という現実から、夜に向かって逃避する。そこで起こる出来事、起こって欲しい理想の夜のことを描いている。アルバムの最後は暗い扉を開けてまた平日が始まってしまう。

 

一瞬大味なようで、曲がすごい整理されている。私はすごいいい店を見つけてしまったような気がしている。

 

 

「New age」を聴いて感じたこと

 

 

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正直なところ、(((さらうんど)))のファーストアルバム「夜のライン」を聴いたときは、全ての曲が2/3くらいの尺がベストなんじゃないかなあと思った。

斬新な音で作られる楽曲や、歌の力は感じられるものの、どうしてもその尺の件が頭から離れなかった(心血注いで作られたものに対して、自身が何も背負わないで批判を書くのはどうかと思う。すみません。)。

それでも表題曲「夜のライン」はもちろんのこと、「サマータイマー」や「R.E.C.O.R.D」などの曲は家事しながら口ずさんだりするくらい、作品を何回も聴いたりした。

 

そして今年の夏、(((さらうんど)))のセカンドアルバム「New age」が発売された。

先行シングルの「空中分解するアイラビュー」を試聴したとき、これ好きだー!と叫びそうになった。

歌詞がちょっとした短編恋愛小説のようで面白い。そしてだれもが経験したことあるような感覚が歌の随所にちりばめられていて、モテる男もモテない男も共感ができる内容になっている。

(好きな人の頭の中にテレパス送ってみるものの全然返答がない、なんてもうモテない男の習性を的確に表現!)

 

「New age」全体についてですが、

これはロッキンオン風に言えば「次世代シティポップの幕開け」になるんかな。

次世代と使った理由は以下の通りです。

・トラックの面白さやビートのキレが、シティポップ特有のカッティングギターのグルーヴやトランペットとがっちりハマっていて、すごい新鮮。

・往年のシティポップの代表者たち(山下達郎等)が仮にちょうど今音楽シーンでデビューしたらきっと使ったであろう手法。

こういう理由で使いました。はい。

 

そんで、シティポップな割に既視感のある曲(どっかで聴いたことあるような曲)がほとんどない、ていうのも面白い。これってすごいことだと思う。

 

一応ですが、ファーストアルバムで感じた2/3問題はなかった。

 

アルバムの中では、1、2、3、4、5、6、7、8が好き。特に1〜4の流れ、7〜8の流れがなんとなくいいなって思う。

 

色んな人にリーチできる内容やから、可能ならメディアにできる限り露出して(タモリ倶楽部とか?)、多くの人に知ってもらったらいいんじゃないかなと思ったりもしました。あ、これは余計なお世話か。

「夜はそのまなざしの先に流れる」を聴いて感じたこと

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「夜はそのまなざしの先に流れる」空気公団

これもceroのマイロストシティ同様、2012年の秋頃にリリースされたアルバム。

空気公団ってキャリアが結構長いバンドやと思うけど、このアルバムで初めて聴いた。女性ボーカルの三人組。

 

イヤホン通して初めて一周聴いたとき、うわあ好きだ!と思った。

偉そうに言うと、曲はさることながらアルバムとしてのコンセプトがすごく好きだったのだった。

 

そのコンセプトというのが、アルバム全体の構成が夜から朝に向けて時間が流れるようにしているということ。

勝手な想像では

1曲目 夜10時くらい

長くなるので割愛するけど、とんで

8曲目 深夜3時~4時

9、10曲目 朝5時~6時くらいかな。

 

BGMとしても聴けるし、じっくり聴くこともできる。

 

そして、このコンセプトを後押ししているのが、ライブ録音だということ。

独特の緊張感が夜の静かな感じをすごいうまくとらえていて、ぐぐぐぐぐっとくる。

 

そして歌詞も好き。

1曲目の「たまにいいとこ見せたくなって~」のくだりや

4曲目の「僕は何一つなしとげたことがない~」

10曲目の「意味なんて答えじゃない~」

といった、さりげなく人の心の奥をとらえるような言葉チョイスがいい。

ほんでこの歌詞をまっすぐな声のボーカルが歌うからなお好きです。ゲストの山本精一の声もいいんだな。

 

演奏も全体はポップスやねんけど、ポストロックかと思うアレンジも一瞬ちらりと出てきたりとして、うきっとする。

 

このアルバムの後

空気公団作品集」→「春愁秋思」→「おくりもの」

の順で聴いたけど、うん、どれもいいアルバムや。とにかく良いポップスだった。

そして他のやつを聴くたびに、この「夜は~」は独特な作品だとも思った。

 

「My Lost City」を聴いて感じたこと

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個人的には、ちょっとポップすぎるかなと思う。
あ〜しかし、だがしかし、それを差し引いても良いアルバム。

ceroの「My Lost City」である。

2012年の秋頃発売されたらしいが、一ヶ月前に初めて聴いた。

ギター、ベース、ドラム等打楽器、ピアノ、トランペット、スチールドラム、コーラス、そして歌。
音の足し算、引き算がとても心地よくて丁寧!
そして時に想像できないアレンジ。とても楽しい。踊りたくなる。

もう今更こんな時代にミクスチャーという概念自体が古いとは思うけれども、ジャンルが本当にボーダレス。ジャズのアレンジもあれば、クラブビートっぽいアレンジもあるし、ヒップホップの手法も使っている。でもなによりもすごいのが、その取り入れ方が全くいやらしくなく、ドヤ顔感がないところなんよね。

強いて気になる点をあげると、冒頭にあげた通りポップすぎるとこかな(完全にそれは自分の好みの問題でしょうが・・・)。
例えば色々な人が多重コーラスしているアレンジや、十代後半の人にジャストフィットする気がする世界観など。ある年齢を超えていくとちょっと幼く聞こえるかもしれへん。

それでも、「マウンテンマウンテン」の軽快なコーラスやアンサンブルは楽しいし、「comtenporary tokyo curise」は怒濤の展開が素敵やし、「わたしのすがた」ではこんなことまでできんの?!て思わせてくれる。(他の曲もいいよ。)

歳をとればとるほど、自分も周りの人もどんどん音楽から遠ざかっていく。だってこれいい!ていうCDにあまり出会えなくなってくるから。でも久しぶりに友達に伝えたくなった。
お〜い!なんかいいアルバムが出てるで〜!聴いてみて〜!って。

次のアルバムが楽しみです。

「風立ちぬ」を見て感じたこと

宮崎駿の最新作「風立ちぬ」を見た。

すごい映画だった。なんだか心が動いた。それが何なのかを悶々と考えていた時に、ネットでは、こういう見方があったのか!というようなブログがあった。
http://blog.goo.ne.jp/sombrero-records/e/fc082b472586d1994a96b6b975fdcece
確かにそうかも、鋭いなあ、と思う反面読み進めていくうちに、あれ?「風立ちぬ」ってそういう映画なんだっけ?と感じるようになった。

それで映画見終わった自分の中の気持ちを整理しようと思い、パソコンに向かった次第。
内容ネタバレやけども、ただの備忘録みたいなものです。もしもたまたまここへたどり着いた方がいれば、暇つぶし程度に読んでいただければ幸いです。
見当違いだったらすみません。


この物語は零戦を産んだ天才設計士、堀越次郎の半生。これまでの宮崎駿作品とは違いファンタジーではないので、比較的淡々と描かれていく。

物語の大きな転機は、次郎が進めていた戦闘機のテスト飛行が大失敗に終わり、傷心の避暑旅行で起こる。

それはその昔関東大震災で助けた女性「菜穂子」との再会である。
菜穂子とその父親の3人で再会の会食をしようと思った矢先に、菜穂子は高熱にかかる。
(淡々としていた映画が急に胸キュン展開になるかと期待してたら、高熱にかかるのでとても歯がゆい思いをした!)

容態が気になる次郎。彼は菜穂子の部屋めがけて、紙飛行機を飛ばす。そこで二人は紙飛行機を通じて心をつなげていく。

次郎はこのやり取りを通じて、テスト飛行の大失敗の傷を癒し、飛行機設計への英気を取り戻していったのだと思う。
紙飛行機の形状も次郎が思い描く理想の飛行機に似ているように見えるのは気のせい?

そして菜穂子との交際を父親に認めてもらう。彼女が結核と知りつつも。
当時の結核というのはそれこそ「死を覚悟」せねばならない病のはず。そんな菜穂子を受け入れ、自分が結核に感染することなどおかまい無しに接吻を繰り返す次郎。

彼は生きる意味を飛行機だけではなく、菜穂子にも見いだしたのだろう。
遠距離で交際をしていても、菜穂子の容態が悪くなると、大急ぎで彼女のもとへ駆けつける。そして大急ぎで職場へ帰り、飛行機の設計はきっちりとやっていく。

求める二つのものを両立させるなんて面倒なことはせずに、葛藤してどちらかを切るのが物語として一番わかりやすい。だがそれで次郎がそして菜穂子が幸せになれるなら、それは陳腐なファンタジーではないか?
この時代、仕事を辞めれば菜穂子を守れない(なぜか特高警察からも狙われいるし)。そして次郎を再び飛行機作りに向かわせる根本となった菜穂子と別れることなんてできるわけがない。
美しい飛行機を作りたい。妻と少しでもそばにいたい。という矛盾。
あっちを立てればこっちが立たずという中、次郎は生きている。これって僕たちの社会でも結構起こってる。
(ちょっと話がそれるけど、大体においてこの物語の人物は矛盾と戦っている。「俺たちは良い飛行機を作りたいだけで、武器商人ではない」と本庄も言っている。これこの映画のキーワードかも?)

菜穂子は結核のために高原病院に移されてから、次郎に会えなくなるのではと、不安になり衝動で次郎に会いにいく。
そして次郎は決断する。菜穂子をそばに置くことを。このとき菜穂子と一緒に「生きていく覚悟」とおそらく「死ぬ覚悟」を決めたのだと思う。(結核の感染を気にしないのもさることながらラストの流れでもそう推し量れる。)次郎は飛行機と菜穂子の間で生きているから、妹から罵倒されようとも大切に一日を生きているとのたまえる。


終盤、次郎は理想の(美しいと呼ばれる)戦闘機を完成させた。それと同時に菜穂子は「美しい容姿のままでここから去りたい」と言い残して高原病院へ戻っていった。
彼が愛した二つ、戦闘機は見知らぬ土地で残骸となり、菜穂子は遠く離れた高原病院で息を引き取る。
これは決して偶然ではないはずだ。

そして夢の中、自分の作った戦闘機の残骸のそばで絶望する。そんな折、菜穂子が現れて、次郎に言い続ける。「生きて」と。次郎はやはり死を覚悟していたのだと思う。
そしてその思いは菜穂子の言葉で解けていく。

 

色んな矛盾をはらみながらも覚悟を決めて時代を生きた二人を取り巻く物語が、とても残酷でそして悲しくてでもなぜか愛おしかった。
僕としては味わったことのあまりない気持ちになり、深く心を衝かれた。次郎の美しさに対する執着という狂気もきっとこの物語に含まれているんやろうけど、それは主題ではないのかな、と個人的には思う。
なんか、文章にしたら悶々がちょっと腑に落ちた!でもまだ悶々となにか残ってる!
他の人のレビューも色々読んでみよ。